2011年1月31日月曜日

2011年1月30日

次は数学。僕は数学は小さい頃から大好きだった。大好きだから沢山勉強した。小学校の時には独学で二次方程式を勉強して、中学受験の算数の難問題は二次方程式を使ってあっというまに解いていた。当時、「高校への数学」「大学への数学」という雑誌があって(今もあるのかも知れないけど)中学二年生の時には高校三年生レベルの数学は独学で勉強して「大学への数学」に出ている懸賞問題を解いて応募していた。中学三年から高校時代は、英語で書かれた分厚い大学レベルの数学の専門書を独学で勉強していた。前にも、パンダに書いたけど、両親とも数学の教授でそのおかげでイタリアに一年間住んでいて、ひとつ年齢は上のY君と中学の時から仲が良かったので、彼の両親に解らないところは時々教わっていた。

国語。これは“試験の点”という観点からすると、酷いもので、僕は大学受験のための国語の勉強は全くしなかった。しかし、僕なりに日本語の読み書きの修行はかなりやった。中・高時代にどんなことをやったかというと、(明日に続く。。。。)

2011年1月28日金曜日

2011年1月27日

(昨日からの続き)
広島学院はカトリック系の学校なので、英語を母国語とする先生が多くおられた。アメリカ人、イギリス人、アイルランド人、フィリピン人など。だから、学校でも普通に英語を話す機会が多かった。また、僕は中学3年~高校2年までの三年間、ほぼ毎週、英語の文章をノートに23ページ書いて、当時おられたアメリカ人の先生に提出して添削してもらっていた。これは、義務でもなんでもなく、僕が自主的にしたいといったら、このアメリカ人の先生は快く引き受けて下さった。約3年間毎週、辛抱強く添削して下さった。

また、広島は当時ABCといってアメリカと日本が共同出資して運営していた、放射線研究所があって、家の近くにあった。また、広島学院にはアメリカ人の神父さんが何人かおられることもあり、ABCにアメリカから来て研究している研究者またその家族と知り合いになる機会が多かった。僕は中学2年生の時、そのなかでも、アメリカのUniversity of Rochesterから来ていた有名な(当時は有名だ知らなかったが、後にかなり高名な研究者だということを知った)統計数理学の教授であるCharles Odoroffという研究者とその家族と知り合いになった。とくにそこの長男のMark とは同い年なので、頻繁に一緒に遊んだ。だから、日本に居ながら、僕にとっては英語を読む、聞く、書く、喋るは日常の一部だった。

(明日に続く)

2011年1月27日木曜日

2011年1月26日

僕は中・高と広島学院というところに通った。今は知らないけど、当時は東大に毎年30人以上合格するような、いわゆる6年一貫教育の私立進学校だ。前にも書いたけど、僕は受験勉強をすると頭が腐ると真剣に当時思っていたから、受験勉強は全くしなかった。でも、かわりに自分の頭でしっかり考える勉強、将来絶対に必要なサバイバル能力を養う勉強はしっかりやった。これから何回かに分けて僕が中学・高校の6年間どのような勉強をどんな風にやったかを書いていこうと思う。

前提として、僕は7才くらいにはすでに将来研究者になると確信いていたという事実がある。また、日本ではなく海外で世界を相手に世界一の研究をしようと決心していた。したがって、英語は日本語と同じくらいProficient でないといけないとずっと思っていた。

では先ず、英語をどのように勉強したか。僕は読むもの(バスケの雑誌、小説、専門書、など)、聞くもの(ラジオ、テレビ、など)はできるだけ英語のものを読んで聞いた。ラジオだと米軍基地の放送(FEN)は毎日聞いた。テレビも音声多重放送が当時始まったと同時に、そのためのデッキを買ってNHKなどのニュースも英語で聞いた。映画もテレビのは音声多重放送をつかって英語で聞いた。また、映画館に日曜日にひとりでいって英語が全てわかるまで、何回も観た。セリフが空で真似できるくらい何回も観た。

(明日に続く)

2011年1月26日水曜日

2011年1月25日

昨日、12月最後のプロジェクトの結果がきた。残念な結果でした。コメントは「君の料理はインドネシア料理としてはとても美味しいものだったけど、私たちの食べたいのはタイ料理なんだよね。次回までにタイ専門の料理人と一緒に君のインドネシア料理のスパイスを加味して、美味しいタイ料理をつくってくれたら食べてあげる。」こんな具合でした。タイ専門の料理人がオーストラリアから来月ラボにやってくるので、色々話しをして一緒に料理をつくり始めようと思う。どっちみち、共同で料理をつくる予定だったからGood Timing

2011年1月25日火曜日

2011年1月24日

アメリカではNIHのグラントに、個人の研究をサポートするRO1というもの以外に、複数の研究グループが集まって形成する大きな研究チームをサポートするProgram Project Grant(PPGと呼ばれている)というのがある。これは日本でいう新学術(旧特定)みたいなものだと思う。

PPGの日本のそれとの大きな違いは、PPGでは研究チームのほとんどがひとつの研究機関(あるいは大学)における幾つかの研究グループで形成されるというところにある。日本のそれは、ほとんどが複数の研究機関(大学)にまたがる研究グループでチームを形成する。PPGの場合は所属する研究グループが同じ研究機関(大学)にあるので、共同研究や合同ミーティングをフレキシブルに行いやすい。一方,日本のそれは、これらが困難なので、合同シンポジウムや合同ミーティング(いわゆる班会議と呼ばれるもの)が,頻繁に,何処かの場所で,泊まりこみで行われる。この合同シンポジウムや合同ミーティングのために、研究者(特に駒使い役にさせられている助教の先生たち)は、これに伴う事務的雑用に終始追われ、本来の目的であるサイエンスをする時間がなくなる。

僕はこのような班会議に出席した事がないので真相はわからないが、聞くところによると、班会議はお互いが親密度を高めたり、コネを強めたりといったことが中心になり、具体的な共同研究が生まれる場にはなっていないらしい。その証拠に、新学術(旧特定)の研究チーム内での複数の研究グループによる共著論文発表数はそんなに多くないらしい(これは僕が自分で調査したわけではなく、何人かの人達に聞いただけ)。アメリカでは、真の共同研究(つまり共著論文がPPGチームから頻繁に発表される)が行われていないとPPGとしてのファンディングは絶対にありえない。

日本はやはり「村社会」なのか、新学術(旧特定)などの場が人脈をつくることに使われていて、「複数の研究グループが集まって、個々の研究グループでは不可能な大きな研究プロジェクト、研究分野を開拓・発展させていく」という本来の目的が効率的に遂行されていないのではないかという声を僕は頻繁に聞く。

日本は極端にウエットな社会だから、ドライに真の目的遂行型社会になれといっても所詮無理な話なのかも知れない。だから僕は日本では,一匹オオカミ的な生き方しかできないのかもしれない。

2011年1月24日月曜日

2011年1月23日

今日の読売新聞朝刊に武田薬品が新卒採用にはTOEIC 最低730点を要求するということを2013年(つまり2年後)採用から適用するとでていました。僕の個人的な経験・体験からすると、TOEIC 730点では英語で世界を相手に仕事は出来ません。730点レベルはTOEIC対策の勉強をすれば取れる点なので、真の英語力とはいい難いと思います。やはり850点~900点以上のレベルだとTOEIC対策といったごまかしの英語勉強では取れないと思うので、本当はこれ位のレベルを要求するのが将来的にはよいと思います。

これから、このレベルの英語力を新卒採用の最低ラインとして要求してくる会社が加速的増えてくるのは確実なので(僕は2015年までに大手企業の半分以上がTOEIC 750点以上、トップ5%の大手企業がTOEIC 800点を最低ラインとして要求してくると予想する)、学生の皆さん英語だけは今からでも遅くありません。今すぐに高度なレベルの英語を習得するために行動を起こして下さい。英語が自由自在に操れないと相手にもされない時代はすでに来てます。

2011年1月22日土曜日

2011年1月21日

日本でもアメリカでも博士後期過程(ドクターコース)の学生の質は様々だが、昔からよく言われていることが1つある。

学生は、ドクター1年(D1)に上がる頃には、最低でも自分の研究分野のことであれば、指導教官よりも遥かに多くのことを知っていて、指導教官に色々と教える(つまり指導教官を教育する)くらいのレベルになっているのが当然である。

学生諸君ガンバレ!!

2011年1月21日金曜日

2011年1月20日

12月にコペンハーゲンへの出張があった時に、向こうは極寒なので、ユニクロのヒートテックの下着なるものを上下買った。身につけてみると確かに温かい。特に、それを着て外を歩いたりすると、あっという間に身体が温まる。外を歩くときには、ヒートテックの下着を着ていると僕には少し温か過ぎるくらい。オフィスにじっと座って仕事をしているときには、丁度いい感じだけど、外を歩く時には着ないほうがいい(暑過ぎ)。

最近は日本も少し寒くなってきたので、時々ヒートテックの下着を着て仕事に出かける。それをするようになって二つの問題が出てきた。

###ヒートテックの温かさになれてきて、寒さに弱くなってきた。たかが23℃くらいなのに、ヒートテックを着ないと寒いと思うようになってきた。ニューヨークにいるころは、零下にならない限り、そんなに寒いと思わなかった。しかし、最近は23℃くらいで寒いと思うようになった。寒さに弱くなるのは老化の始まりなので、これはよくないと思いはじめて、これからは零下にならない限りヒートテックの下着は着ないようにしようと思う。

###もうひとつは、ヒートテックの下着を着ると汗が外気に発散しなくなるので、体臭がこもり、自分の体臭の匂いが気になる。体臭を防ぐのはマナーのひとつなので、気をつけないといけない。

このような理由から、せっかく買ったけど、老化防止、体臭防止のため、これからはヒートテックの下着は極力着ないようにしようと思う。

2011年1月20日木曜日

2011年1月19日

先日書いた僕のブログからすると、中学・高校時代は、暇さえあれば僕は勉強していたみたいに思われる方もいらっしゃるかと思いますが、そうではありません。もちろん、中・高生の男の子ならだれでもするようなバカなことも沢山しました。

バスケの遠征に泊まりがけで行くときや、中学・高校の修学旅行の時など、ホテルに泊まります。そのときは、交代で見張りをたたせて(バスケの監督や引率の先生を見張る)、ホテルの部屋でエッチなビデオを皆で見ながらエッチな話しをしてました。ヘンなことをやり始めるお調子者も何人かいました。

だから、普通の十代の男の子がすることも沢山しました。今振り返ってみると、僕のまわりは親の目も先生の目も、あまり厳しくなかったように思います。かなり、いい加減に好き放題やって僕等は育ってきたように思います。

今の世の中、この「いい加減さ」に対する寛容度がなくなり過ぎてるんじゃないかなと僕は思います。

2011年1月19日水曜日

2011年1月18日

先週は結構充実したトレーニングが出来た。食事も食べ過ぎないように出来た。先週のトレーニングはだいたいこんな感じ。

月曜日
午前530分~630分:ランニング(@大阪城公園)
そのあと家で腹筋・背筋の強化(20分くらい)

火曜日
朝、ジムで1時間筋トレ(フリーウエートで全身)。そのあと、25分ほど泳ぐ

水曜日
午前600分~650分:ランニング(@大阪城公園)
そのあと、家で腹筋・背筋の強化(20分くらい)

木曜日
午前600分~650分:ランニング(@大阪城公園)
そのあと、家で腹筋・背筋の強化(20分くらい)

金曜日
朝、ジムで1時間筋トレ(マシンで全身)。そのあと、20分ほど泳ぐ

土曜日
午前630分~845分(2時間15分)ランニング(大川~淀川沿い)
そのあと、家で腹筋・背筋の強化(10分くらい)

日曜日
朝、ジムで1時間筋トレ(フリーウエートとバランスディスク・バランスボールで全身)。そのあと、45分ほど泳ぐ(インタバルやIMをいれる)。

今週もこれくらいは最低きちんとトレーニングして、日中は仕事に集中し、食事も食べ過ぎないように心がけて生活してます(今のところ)。

2011年1月18日火曜日

2011年1月17日

センター試験の数学と物理を解いてみました。両方とも、満点でした。昔の僕が受けた共通一次試験の頃より、かなり簡単になったような気がします。

ところで、今日の朝日新聞と日本経済新聞に京大の研究グループが、一辺約20ナノメーターの正三角形をタンパク質とRNAでつくったという記事が出ていた。ところが、朝日新聞には「20ナノメートル(0.0002ミリ)」と書かれていたけど、これ間違い。正しくは「20ナノメートル(0.00002ミリ)」。新聞記者の方もう少ししっかりして下さい。この記事書いた記者の人、もしかして「ゆとり世代」かな...。

2011年1月17日月曜日

2011年1月16日

昨日と今日はセンター試験。全国の大学受験生にとっては一般に勝負の日といわれている。日本では、いわゆる有名大学に入学するためには、この一年に一度しかない試験はとても大事らしい。

僕は1981年に当時まだ共通一次試験とよばれていた時代にこの全国共通の試験を受けた。僕の覚えている限り、自分自身「こんなアホみたいな試験で俺の能力を点数化してくれるな」と思いながら受けた覚えがある。だから、共通一次試験のための受験勉強はほとんどゼロで受けた。自分自身、試験対策なしでどれくらいの点が取れるか興味をもって受験した。うる覚えだけど、全部の合計点は800点を少し超えるくらいだったように覚えている。

僕は筑波大学を受験したのだけど、二次試験対策もゼロで受けた。前にも少し書いたと思うけど、それには二つの理由がある。

***ひとつは筑波大なら試験対策の勉強なんかしなくても余裕で合格すると思っていた。
***もうひとつは、万が一落ちてもアメリカの大学に行けばいいと思っていた。必死こいて日本   の大学に入るほど格好の悪いことはないと思っていた。

そんな具合だから、二次試験もほとんど遊び感覚で受けた。当時はクイーンとスーパートランプにはまっていて、試験開始直前までガンガンにBicycleBreakfast in Americaなどの曲をウオークマン(当時はこれでカセットに録音した音楽を聞くのが流行っていた)で聞いていた。

また、ただ試験問題を解くだけではつまらないので、試験開始前に試験用紙の裏から透けて見える問題を読んで、試験開始前までに何問解けるかというようなことを試したり、全部の問題をどれだけはやく解けるかみたいなことをして、ひとりで楽しんでいた。こんな具合だから、当時はなんで皆そんなに目の色かえて受験勉強みたいなアホらしいことをするのか理解に苦しんでいた。受験勉強をすればするほど頭が腐る、と僕は真剣に思っていた。

僕は受験勉強はしないかわりに、自分の信ずる本当の勉強は沢山真剣に毎日コツコツやっていた。バスケットの試合、遠征の時も必ずこれらのための勉強の本を持って行って、時間があれば勉強していた。ホテルの部屋、試合と試合の間の待ち時間も勉強していた。広島の国体チームのメンバーとして高2の時に夏合宿に参加した時も、合宿所でちゃんと時間を見つけて勉強していたから、他の高校から来ているメンバーからは異様な目で見つめられていた。だから、勉強していなかったわけではなくて、受験勉強はしないけど、自分の信ずる本当に頭を使う自分で考える勉強は半端じゃないくらい沢山真剣にやっていた。

日本の大学受験に関して今でも思っていることがある。日本では、東大、京大、阪大、旧帝大、早稲田、慶応、一流大学、有名大学とかなんとか言われているけど、世界レベルでみたら(特にアメリカ、ヨーロッパ、中国)、東大も私立大学も地方大学も、日本という小さい国のひとつの大学に過ぎない。これから世界のグローバル化がドンドン進むことは間違いない(これは変えようもない事実)。このような時代に日本の中での有名大学卒業なんてほとんど意味をなさなくなる(これも確実)。もっと、世界レベルからの視点で物事を見て、世界中の大学に自分の選択肢はあると思って、自分が最もしっかり学べる、自分にあった、将来の自分の同志を見つけられる、こういった大学を世界中から選んで、そのような大学に進学するのがベストだと僕は思う。そのためには高い英語能力は絶対必要。若い人達は、今世の中を動かしている日本人のオジサン、オバサン、両親、または自分の中・高校の英語の先生たちの英語の実力を見て、「あれ位で良いんだ」なんて思っちゃいけない。これらのひとたちは遠い昔の世の中で教育を受けた人達で、これからはあの程度の英語力では生きていけない(就職出来ない)。だから、子供の頃から、日本語の読み書き、高いレベルの使える英語能力、論理的思考能力、人とうまく関われる能力、ストイックな持久力、これだけは最低限しっかり身につけてください。そうすれば、世界中どこでもやっていけます。

とにかく、視点を世界レベルにかえてほしい。日本なんてホントに世界の中のほんの一部でしかないことを若い頃から認識して欲しい。

追伸
今日の朝刊に出ていたセンター試験の英語、地理B、現代社会の問題を解いてみた。英語(もちろんリスニングはできないが)は満点。地理Bと現代社会は8割強くらいの正解だった。明日の朝刊に出る数学、理科も解いてみようと思う。

2011年1月16日日曜日

2011年1月15日

先日僕のパンダを読んで、いくつか質問がきたので、それにお答えします。

「助教のデータで修論を書く」「助教の先生が手取り足取り指導する」これらのStatementはどういうことかをもう少し具体的に書きます。

どのサンプルを調整して、どのような解析方法を使うか、学生にひとつひとつ具体的な指示をだす。

データが出たら、そのデータを助教の先生が見て、助教の先生の解釈を修論で述べる。

それらのデータと解釈に基づいて、次に具体的にどのような実験をどのようにやるか指示を出す。

修論をどのような構成で書いて、具体的にどのデータを載せて、それぞれのデータをどう解釈するか学生に指示する。

修論を一字一句チェックして直す。

これらをやると、もうすでにその研究は学生の研究ではなく、指導した助教、ポスドク、上級生の大学院生の研究になってしまうと僕は思います。

2011年1月15日土曜日

2011年1月14日

スティングの大阪ライブ行って来ました。最高でした!

ポリス時代の曲もいくつかやって、僕もノリノリしてきました。前半では1977年ポリス時代のRoxanneをやってくれたし、フィナーレはやはり1977年のEvery little thing she does is magicでした。もちろん、1987年のEnglishman in New Yorkも前半にやってくれました。さらに、3回もアンコールに応えてくれました。

1977年、僕は中学3年生でした。当時、僕はポリス、レッドツェペッリン、ドアーズ、クイーン、ピンクフロイド、ディ-プパープル、スーパートランプなんかにバッチリはまってました。邦楽ロックだと甲斐バンドにはまってました。当時、甲斐バンドのボーカル、甲斐ヨシヒロがDJをやっていたラジオ番組で洋楽ロックがガンガンかかってて、よく聞いてました。甲斐ヨシヒロ独特のユーモアをいれた解説も楽しんでました。

話しが少しそれてしまいましたが、もとに戻って、スティグのライブの話しです。スティングは59才でもうすぐ還暦とは思えないエネルギーでライブをやってくれました。スゴイです。それになんといってもカッコイイ。僕も歳はとっても、痛いオヤジにはならないように、人間を磨き続けようと思います。

観客の年齢層もかなり高く、多くは僕と同じくらいの世代の人達でした。でも、ライブ中はみんなタイムスリップしたみたいに若い頃同様シャウトしてノリにノリまくってました。僕はこの一晩で30才くらい若返りました。

最後にチケットのプレゼントをしてくださいましたN 様、ありがとうございました。最高のプレゼントでした。

2011年1月14日金曜日

2011年1月13日

昨日、NAISTの色んな先生たちとラボでの学生の指導について話す機会があった。色んな先生の話しを聞いてビックリしたと同時に「それじゃ、アカン」と思ったことが二つある。

みんな、学生の指導をし過ぎ。もっとほったらかしておいたほうがよいと思う。ほとんどの先生が学生を手取り足取り指導している。それでは、学生が何時までも乳離れ出来ない。先生方によると、最近の学生は手取り足取り指導しないと、なにも出来ないらしい。でも、僕はそのように先生方が思って学生と接するから、指導して貰わないとなにも出来ない学生になってしまうのだと思う。最近過保護の親が多いのと一緒だと思う。

もうひとつは、修士で卒業する学生の多くが、指導した助教の先生のデーターで修論をまとめて卒業するらしい。僕はビックリした。先生方によると、多くの修士課程の学生はまともに実験できるようにはならないらしい。だから、卒業させてあげるために、これまた助教の先生が手取り足取り指導して“卒業させてあげる”らしい。僕は、アホちゃうか、と思った。

まあ、他人のラボのことなので、僕がとやかく言うことではない。僕のラボでは上記のようなことはしない。

2011年1月13日木曜日

2011年1月12日

現在私のラボでは特任助教を募集してます。私のラボでは今年にはいってから、とても優秀なラボマネージャーを雇用したので、通常日本のラボで助教がおこなうラボ運営のための諸々の仕事はこのラボマネージャーがアドミニストレイティブマネージャーと一緒にやって頂いているので、特任助教は100%自分の研究に全力投球出来ます。学生の指導義務も全くありません。

これを踏み台にして世界のトップに登り上がるきっかけにして貰いたく思います。

どしどし応募してください。E-Mail での応募もOKです。宜しくお願いいたします。

2011年1月12日水曜日

2011年1月11日

年末・年始と具合を悪くした為に運動不足になって、さらには具合がよくなってから、結構過食気味だったので体重が2キロ増えてしまった。先週あたりから気をいれかえて真剣にトレーニングをしている。まだ体重がもとに戻らないので、少し食事のカロリーを減らして、もう少し運動量を増やそうと思う。

2011年1月11日火曜日

2011年1月10日

「伊達直人現象」良い事です。日本も捨てたもんじゃないと思いました。一方、アメリカだとランドセルとかじゃなくて、日本円で数百万円とか数千万円(あるいは億単位)の寄付が匿名ではなく、自らを明かして寄付が贈られるにとも思いました。まあ、これも国民性の違いでしょう。

僕はアメリカにいるころは結構大きな金額を色々なところに寄付してきましたが、日本に帰ってからは、なぜだか知らないうちに気持ちがセコクなってきて、数箇所のところに数千円づつくらいしか毎年寄付してませんでした。これからは心をいれかえて、最低でも年収の1%は毎年何らかのかたちで寄付にまわそうと思います。

2011年1月10日月曜日

2011年1月9日

冬はランニングにはOKだけど自転車を長時間乗るには寒いので、今まで土曜日か日曜日に自転車を長時間乗っていたけど、12月からは、土曜日に長く(2時間~3時間)走って、日曜日はジムにいって筋トレを1時間した後30分~1時間水泳をするスケジュールに変更した。

歳をとると筋力が衰えるのがめにみえてはやくなるので、スケジュール変更後は、今まで週2日だった筋トレを週3日する事になった。これで、筋力が少し回復すれば(あるいは、筋力が衰える速度を遅くする)、からだ全体の基礎代謝もはやくなるはず。これは、骨格筋、肝臓、脳、脂肪でのグルコース代謝が、効率の良い骨格筋にバランスがシフトするからだと僕は考えている(実験結果に基づくいくつかの間接的証拠はいくつかPublishされているが、直接的証明はまだみたことない)。

この新しいスケジュールにして、2つ得したことがある。

- 日曜日の朝のプールはがらがらに空いている。バタフライ、個人メドレーなど、レーンが混んでるといまいちやりにくいトレーニングがやり放題。タイムトライアルやインタバルもやり放題。

- ジムのすぐ傍にスタバがあって、これまた日曜日の早朝はがらがらに空いている。筋トレ・水泳した後にスタバでVenti のカフェラテを飲みながらのんびりと仕事をしたり、本を読んだりと、最高。マンハッタンに住んでいた時は、マンションの一階にスタバがはいっていたので、よく気分転換に利用していた。

3月くらいまではこのトレーニングスケジュールでいこうと思う。

2011年1月8日土曜日

2011年1月7日

今度、スティングのコンサートに行って来ます。ある方からチケットをプレゼントして頂きました。感謝・感激です。ありがとうございます。

僕の世代はポリス時代からのファンという方が多いと思います。僕も高校・大学とポリス時代からの大ファンです。1985年(僕がアメリカに行った年)にスティングがソロとして独立しました。そのスティングも今59才で、今年還暦をむかえるそうです。彼はマンハッタンに長い間住んでいて、僕がマンハッタンに住んでいた時はご近所さんでした。お互いセントラルパークのすぐ傍に住んでました。

コンサート楽しみです。

2011年1月7日金曜日

2011年1月6日

小澤征爾が腰痛で手術をするらしい。せっかくガンから復帰したばかりなのに。やはり、あのヤンチャな小澤さんも歳には勝てないのかな。これで予定されていた復帰第一弾の日本公演もキャンセルなんだろう。とても残念。

それにひかえ、ノーベル化学賞をとった根岸さんはとても80才にはみえない元気さ。すごく精力的に活動されている。立派だと思う。

研究やその他のプロの仕事を世界の一戦で長く続けるには、強靭な体力と精神力が必要だと、僕は思う。前にもここに書いたけど、日本の研究の世界ではバイタリティ-のある研究者を「体育系」といってかなり偏見の目でみる傾向がある(前にも書いたけど、このような偏見は世界中で日本だけ)。でも、僕のアメリカまた日本に帰って来てからの経験からすると、若い頃しっかり運動をして野外で育った若い子たちのほうが精神力が強いし、研究でも企業でも成功している例が多いような気がする。

プロの仕事をトップレベルで長く続けるには、もちろん優秀な頭脳も必要だけど、それと同じくらい、またはそれ以上に、強靭な精神力、ずば抜けた体力、Disciplineが必要になる。

ずば抜けた頭脳をもった人は世界中くさるほど沢山いる。だから、その中で誰が抜きん出るかというと、プラスαの部分で、それが強靭な精神力、ずば抜けた体力、Disciplineなんだと、僕は思う。

また、研究という分野だと、実は頭脳明晰な人より、それよりちょっと頭脳が不透明なくらい頭の働きが遅い人のほうがいい研究・大発見をする傾向にある。だから、学校とかの成績がトップの学生より、中の上くらいの学生のほうが研究者としては将来成功する傾向にある。

2011年1月6日木曜日

2011年1月5日

英語にDiscipline という言葉がある。アメリカではよく親が(先生が)子供(学生)のしつけに使う言葉。また、アスリートがよく口にする言葉である。

大人として礼儀正しい行いをする。嫌なことも大切な時には進んでやる。何事も手を抜かないできちんとやる。毎日コツコツと勉強する。単調で全然面白くないトレーニングだけど、優勝するためには我慢してやる。マラソンでとても調子がよくて最初から飛ばしたいけど、必要ならペースダウンして最後の競り合いの時のスパートまで我慢して力を温存しておく。友達と遊びに行きたいけど、グットこらえて勉強する。

このような時にDiscipline を使う。
He (She) needs some discipline. (or He (she) needs to be disciplined.)
I need some discipline.
He (She) is disciplined.

日本語だとなんていうのだろう。もしかして、現代の日本にはDiscipline に相当する日本語が無いのかも知れない。

現代の日本人(僕を含めて)に一番必要なのがDiscipline だと、僕は思う。

2011年1月5日水曜日

2011年1月4日

今日から仕事はじめで、久しぶりにラボに行った。年末、年始にまとめてしっかり勉強する予定だったが、風邪をひいたり、餅の食べすぎでお腹をこわしたりで、予定通りの勉強が出来なかったのが痛い。今週はラボもまだスローモードなので、休み中に出来なかった勉強をしっかりやる予定。

今年は、2009年にNAISTに着任してから始めた新たなプロジェクトの幾つかに関してはメドがつくところまでもっていくようにしないと駄目だと考えている。僕の役目はその一つ一つの芽がすくすくと育つように水と肥料をやることで、あとは個々の芽の生命力に賭ける。

今年は、どんな芽が出てくるのか結構楽しみな年です。

2011年1月3日月曜日

2011年1月2日

昨日お餅を食べすぎて、夜から朝にかけて呻いていた。最悪の新年。今日の朝に胃薬を近くのコンビに買いに行ってきた。若い頃は、きな粉餅を一日で20個くらい食べてもなんともなかったけど、やっぱり歳には勝てない。1日はお雑煮で餅を2個と、きな粉餅5個、夜にきな粉餅を5個食べただけで、胃がもたれてしまった。これからは気をつけようと思う。

2011年1月1日土曜日

2010年12月31日

今日で2010年も終わり。明日から新しい年です。昨夜は変な夢を見てしまいました。もちろん夢の中では英語です。以下、覚えている範囲での会話:

舞台は日本ですが、なぜか僕のアメリカにいた時の大学での仲の良かった同僚が2人います。

僕のアメリカでの同僚(アメリカ人)のひとり:
Tom, this is in Japan.  You can’t behave like an American – you have to be Japanese and behave like Japanese!!  (彼はかなり厳しく怒った口調で僕にこのように説教をしてました。)

僕:
I know, but if I have to behave like that, I will be totally stressed out and I would probably go back to US right away.  If I do that, then X-sensei and Z-sensei and some other senseis would be so sad – and I can’t disappoint them.

このあと、色々長い会話がありましたが、ここでは書きたくないので、また将来機会があったら書こうと思います。

このような夢をみた朝はあまり良い気分ではありませんでした。でも、初夢でなくて良かったです。